- 投稿 2021/05/06更新 2021/05/06
- 観光

関ヶ原の戦い寸前まで明智光秀は生きていた!

2021年4月20日、岐阜県山県市中洞にある桔梗塚にきた!


明智光秀は、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れたあと、落ち武者狩りによって討たれて死んだと言うのが定説だが、実は討たれたのは光秀ではなく影武者の荒木行信で、光秀はこの中洞に落ち延び、名を荒深小五郎と変え生きていたと言う。

非常に神秘的な場所に戸惑いながら、階段を上がっていく。

これが、明智光秀の墓!
荒深小五郎と名を変えた十兵衛は、関ヶ原の戦いで徳川家康に味方するため、出発したところ、川の洪水に会い溺死してしまったとか。
中洞は明智光秀の出生地伝説

この地に落ち延びたのは、もともとここが出生地だったらしく、うぶ湯の井戸跡もある。

近くには、明智光秀の母が住んでいた「庵の庭」もあるので探索してみた。


桔梗塚から国道に出て、歩道を登っていくと多喜プラスチック工場の本社横に「庵の庭」の案内板を発見した!
しかし発見するのに、ずいぶん時間がかかった。


坂道を上がると明智光秀とは関係ない石板を発見するが、ここではないらしいので、上に登る。


行けども行けども「庵の庭→」の案内板ばかり!
これは、もうほとんど軽登山!

どうやらここが「庵の庭」らしい。

先に進んではみたが、道が整備されていないので、ここっぽい。


最後の「庵の庭→」の案内板からちょっと行ったところに小さい道があったので行ってみたら、休憩所とその中に小便小僧がいた。
やはり、この辺りが「庵の庭」なのだろう。
明智光秀を身ごもった母は、近くの川にある岩の上(行徳岩)で「男児ならば、たとえ三日でも天下を取るように」と祈ったそうだ。

まさか、本当にそうなるとはね!( ̄▽ ̄;)
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俺の愛猫・天ニャンが明智光秀ゆかりの観光地を周っています。