- 投稿 2021/05/08
- 観光

幕末の始まり!

2021年4月9日、ついにきた!
ペリーが乗った黒船が来航した浦賀!
今から168年前の1853年(嘉永6年)6月3日午後4時、この海に4隻の黒船が突如現れて日本は大混乱!
この大事件により、日本は尊王攘夷運動が始まり、倒幕運動、大政奉還、戊辰戦争、明治時代へと時代は移り変わったのだ!


立派な石碑が建てられていた。

石碑の側の案内板にある上陸図があった。
黒船が浦賀に現れてから6日後、徳川幕府がアメリカ大統領のフィルモアの親書を受け取るのを拒んでいたが、受け取ったら帰ると言われてしぶしぶペリーらを上陸させたようだ。

上陸記念碑の側にあるペリー記念館に立ち寄った。


記念館の外には、ペリー像、そして交渉人として立派に勤めた戸田伊豆守の像があった。

中に入るとペリーの肖像画があった。
身長は190を越えてたそうだ。

最初にきた4隻の黒船!
●旗艦
蒸気船サスケハナ号
艦長:F.ブキャナン
全長:257フィート
重量:2450t
大砲:6門
●蒸気船ミシシッピー号
艦長:SS.リー
全長:225フィート
重量:1692t
大砲:12門
●帆船プリマス号
艦長:J.ケリー
全長:147フィート
重量:989t
大砲:4門
●帆船サラトガ号
艦長:W.S.ウォルター
全長:150フィート
重量:882t
大砲:4門


ペリーは、まずこのミシシッピ号に乗りアメリカから来たそうだ。

ペリーの威圧的交渉に屈した徳川幕府は上陸を許した。


必ずや、日本のトップにアメリカ大統領の親書を渡すんだ!
そんな決意があったんだろう。
日米和親条約が結ばれた下田へ

翌年の嘉永7年1月16日、ペリーは再び日本に来航。
この下田で日米和親条約の一部である下田条約を締結したそうだ。



ペリーら一行がこの道を通り、条約を締結した了仙寺へ向かったそうだ。

面白いカフェ!

ペリーの気持ちになって歩く!

了仙寺についた!

吉田松陰の活動の場所へ

下田は、あの吉田松陰が黒船に乗り込み渡航を企てた場所だ。


この弁天島から、弟子の金子重輔と共に小舟で漕ぎだし、ポーハタン号に乗り込もうとした。

企跡の石碑がある。

近くの三島神社境内にある吉田松陰の像。

吉田松陰は、この地で捕らえられ、その後地元の萩で松下村塾の講師を務め、高杉晋作や久坂玄瑞ら多くの攘夷派の人物を育成した。
まとめ

浦賀の黒船来航から168年後、下田の海を巡る遊覧船。
その名もサスケハナ号!
ペリーが旗艦にした有名な船の名前を継いでいる。
ペリーが切っ掛けを作り、吉田松陰の教え子が動き、そして開国して近代化して今に至る日本!
ペリーも天国で満足している違いない!