- 投稿 2021/05/11更新 2021/05/11
- 観光

熊野市に寄ったついでに観光してみた

大台ヶ原山、八経ヶ岳登山を終え、宿泊した熊野市。
2021年5月4日、せっかく熊野市に世界遺産があるというので観光しようと思った。
ここは、三重県熊野市にある海岸景勝地・鬼ヶ城。
早朝6時半頃、広い無料駐車場に車を停めて、大自然が作り出した海蝕洞を見て回る。

駐車場から、しばし歩くと、鬼の形のモニュメントがあった。
モニュメント |
昔 熊野の鬼たちはここに集い棲んだ。 彼らは風に髪を飛ばし 渦を啖い 夜はよもすがら岩を揺すぶる波濤の音の中に眠った。 月明の夜より雷鳴の夜を好んだ。 二本の角は稲妻の中で生き生きとした。 -鬼ヶ城にて- 井上清 |
台座には
この詩は井上清氏が親友竹本辰男氏に贈られた作品である |
と、記してあった。
横の案内板には、奥に見える無人島の伝説が書いてあった。
魔見ヶ島(マブリカ) |
魔見ヶ島は、鬼ヶ城の沖合約1.5kmに浮かぶ無人島で、地元ではマブリカと呼ばれ磯釣りやダイビングの人気スポットとなっています。 桓武天皇のころ、将軍坂上田村麻呂が鬼ヶ城の鬼の征伐を命じられた際、沖の魔見ヶ島に童子が現れ舞い唄い、鬼が油断して岩戸を開く一瞬に将軍が神通の矢を放ち、見事一矢でしとめたという伝説が残っています。 |
熊野灘の荒波に削り取られた約1.2kmの奇怪な海蝕洞には、その昔、鬼が住んでいて、将軍坂上田村麻呂が鬼退治した伝説があるそうだ。
坂上田村麻呂の鬼退治伝説

遊歩道を進んでいくと、奇怪な形の岩が現れた!

よく見ると角がある鬼が、口を大きく開け、牙を見せつけ、こっちを見て威嚇しているように見える!
ヒィィィィ∑(゚Д゚ll)
平安時代、この地には熊野近海を荒らし回り、鬼と呼ばれた海賊金平鹿(多娥丸)が住んでいたそうな。
それを苦慮した桓武天皇が、鬼退治を将軍坂上田村麻呂に命じた。


千畳敷は、見事に平!
田村麻呂は、軍勢を率いて鬼が立てこもる岩屋に攻め込んだ。

しかし、鬼たちは岩屋の石の戸を閉めて閉じこもってしまい、どうにも手が出せない。
┐(´Д`)┌オテアゲ

すると魔見ヶ島に、菩薩のような童子が現れて、「私が舞を舞うから、軍勢も一緒に舞おう」と言い、弓矢を田村麻呂に授け、船を並べた舞台の上で舞い始めたそうな。
₍₍ ◝( ‾▿‾ )◟ ⁾⁾ エッ?∑(゚д゚;)

鬼の大将・コンヘーカは、「何事か?」と石の戸を少し開けて顔を出したそうな。
(゚Д゚)ドーシタ?

田村麻呂は、すかさず童子から授かった矢を放った!

矢はコンヘーカの左眼に見事命中した!
ヽ(゚∀゚)ノ ヨッシャ!

怒った手下の鬼たち800人が、一斉に飛び出して応戦!

しかし、田村麻呂の千の矢先に、ことごとく倒れたそうな。

鬼(コンヘーカ)の首は、谷間に埋められ、祟りをもたらさぬよう「さしもぐさたたりをなさじ」と念じて封じ込められたそうな。

鬼の首を封じたその上に、社殿を造ったとの伝承がある。

それが、熊野市井戸町にある大馬神社だそうだ。


見事に鬼退治成功!
まさに鬼滅の刃の世界!
魔見ヶ島に現れた童子って、きっと神様だったんだろうね。
(。-人-。)アリガトネ
熊野有馬氏伝説

室町時代には、この山頂に有馬忠親が鬼ヶ城本城を築いて住んでいたらしい。

有馬忠親は子宝に恵まれなかったから、甥の忠吉を養子にし、跡継ぎにして、この鬼ヶ城で隠居してたんだそうな。

しかし、隠居後に子供が出来たから、家督を継いだ甥の忠吉を切腹させたんだって!
(;゚;д;゚;)ガーン!

酷い話!
当然、忠吉の親族は激怒して、軍勢を率いてこの鬼ヶ城に攻め込んだそうな。
( ゚皿゚)キ──ッ!!

またしても戦いの現場になった鬼ヶ城!

結局、有馬忠親は惨敗して自刃に追い込まれた!

なんてこったい!
いくら子供が出来たからって、死に追いやることはないだろうに。

結局、実子の孫三郎が家督を継いでこの件は決着。

しかし、有馬氏の勢力は次第に弱まっていったらしい。

リーダーが求心力を失ったら、周りは離れていくのは仕方がない。

孫三郎も子供が出来ないまま死んじゃったらしい。


この鬼ヶ城に住むと、鬼・金平鹿の呪いにかかるのかもしれない。


孫三郎死後の有馬氏は、近隣の堀内氏の調略によって乗っ取られてしまったらしい。
なんという結末!

有馬氏の転落は、封じ込められた鬼の怨念なのかもしれない。
恐ろしすぎる!:(;゙゚'ω゚'):ガクガク
近くには世界遺産・獅子岩もある

鬼ヶ城から南にちょっと行った七里御浜沿いにある獅子岩に来てみた。
ほんとに獅子に見える!
\(^o^)/