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山崎合戦古戦場は公園に

2021年3月、ついにきた!
1582年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、中国大返しで戻ってきた羽柴秀吉との天下分け目の戦いの現場に!
439年前のここで激戦が繰り広げられたのだ!

この場所は大山崎JCTの近くにあり、犬の散歩してる人や子供を遊ばせている母親が居たりする、のどかな「天王山夢ほたる公園」という公園になっていた。


案内板があり、この地で過去にあった山崎合戦のようすを伝えていた。

当時から流れている淀川支流の小泉川。

この川を挟んで両雄がぶつかったのだ。
左側が明智軍、右側が秀吉軍。
明智光秀本陣跡

大山崎町下植野にある明智軍本陣跡にきた!

明智本陣跡は、山崎合戦古戦場から直線距離で約500m、歩けば約15分の場所にあった。

案内板があり、「1582年(天正10年)、6月13日夕刻に起こった山崎合戦の明智光秀本陣が置かれた場所ではないかと考えられています」とある。
ここは全長58mの境野1号墳と言う古墳があった場所で、当時はひと際高く、天王山や西国街道を見渡せる高さがあったため、ここを本陣したらしい。
羽柴秀吉の本陣は天王山

天王山に登ってみた。
山崎の戦いを「天王山の戦い」とも言うが、天王山は秀吉軍が陣を敷いた山の名前だ。

天王山頂上は、山崎合戦古戦場から直線距離で約1.3㎞。

天王山は標高270mの低山なので、軽装で登れる。

山の中腹には「山崎合戦之地」の石碑があった。

この中腹に立つと、対岸の男山、手前に流れる淀川を眼下におさめることが出来るとある。

秀吉が味方の士気を高めるため、自分の馬印である『千成瓢箪』の旗印を掲げた松の木だそうだ。
これで味方の士気を高め勝利に導いたそうな。

ここは大勢の人が休憩できる場合になっており、大きなモニュメントが二つもあった!


軍師官兵衛(黒田孝高)がいる。
最高の頭脳を敵に回すと勝てない。

酒解神社のそばを通って頂上を目指す。

山頂についた!

山崎合戦当時は秀吉の弟の秀長が、この陣を守っていたらしい。
明智藪

伏見区小栗栖小阪町にある明智藪にきた!

ここは明智本陣から約10km。
光秀は、山崎合戦に敗れて坂本城に向かう途中のこの地で、落ち武者狩りにあい命を落としたという。

藪と言うが、現代は更地化が進んで、ほとんど藪ではない状態。

こんな感じで、討たれたらしい。

感想
明智光秀の敗因は、やはり本能寺の変で織田信長の首を取れなかったことだろう。
それで、秀吉側から「信長は生きている」の偽情報を伝えられた各武将が光秀の味方につきたくても、つけなかった。
明智軍の兵は約1万6千で、羽柴軍は約4万。
兵力が2倍以上じゃ話にならない。
縁組を結んだ細川藤孝、忠興親子が味方につかなったのは痛かったねえ。
(´;ω;`)ウッ…
大河ドラマ「麒麟がくる」のラストはどうなるのか?と注目していたけど、最後は十兵衛が馬に乗って走り去るシーンだったのは衝撃!
小栗栖で百姓に竹槍で刺されて死ぬのではなく、次のチャンスを狙うような凛々しい顔付きで乗馬してる十兵衛が描かれた!
大河ドラマが光秀生存説をとったのは嬉しかった。
やはり十兵衛は一説にあるこの人になったのでは?

新たなる人物・天海となり、徳川家康の天下統一に尽力し麒麟がくる時代を作り、お駒さんとの約束を果たした!
この展開が夢があるよね!
明智光秀の記事はまだあります!
動画もご覧ください
俺の愛猫・天ニャンが山崎合戦古戦場、天王山、明智光秀本陣跡、明智藪を観光してきてます。