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明智光秀の坂本城、西教寺、亀山城!~麒麟がくる観光~

坂本城、かつては豪華絢爛な城だった!

 

明智光秀公下阪本街おこしプロジェクト
明智光秀公下阪本街おこしプロジェクト

2021年3月9日、琵琶湖のほとり滋賀県大津市下阪本にある坂本城跡にきた!

 

坂本城の明智光秀像
坂本城の明智光秀像

そこは、琵琶湖が眺める癒しの公園になっており、明智光秀の像が立っていた。

 

坂本城モニュメント
坂本城モニュメント
光秀(おとこ)の意地
光秀(おとこ)の意地

この城は1571年の比叡山焼き討ちのすぐ後に、この地を治めるため織田信長の命により築城された城。

明智光秀の唄を鳥羽一郎が歌っているようだ。

 

坂本城本丸の場所
坂本城本丸の場所

本丸はこの辺りにあったらしい。 

跡地は国道161号線は通っているので、観光しずらい。

 

坂本城本丸
坂本城本丸

坂本城の石垣は、ここから歩いて琵琶湖のほとりにあるが、水が引いた時にしか見られない。 

 

街中にある坂本城跡
街中にある坂本城跡

住宅街にも坂本城跡の石碑があった。

 

街中にある坂本城跡
街中にある坂本城跡

 

坂本城案内板
坂本城案内板

坂本城は、織田信長の安土城に次いで天守閣が豪華絢爛だったとポルトガル宣教師ルイス・フロイスが絶賛したらしい。

ぜひとも復元してほしいね!

 

光秀が再興した西教寺

 

西教寺
西教寺

坂本城跡から、約3kmくらい走って西教寺にきた!

西教寺は、比叡山延暦寺焼き討ちで焼失したが、明智光秀が再興した有名な寺だ。

立派な総門を通り、境内に入る。

この門は、光秀によって坂本城の城門を移築したそうだ。

 

西教寺境内
西教寺境内

拝観料500円を払い中に入る。

 

西教寺本堂
西教寺本堂

何やら聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられる由緒ある寺で、全国に450以上の末寺を持つという天台真盛宗の総本山らしく、立派な建物に目を見張るばかり!

 

客殿
客殿

客殿は、もともとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿を、1598年に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊内室が寄進したものらしい。

 

本坊
本坊
本坊入口
本坊入口

本坊に入る。

 

本坊から見た本堂
本坊から見た本堂

庭がよく手入れされている。

 

光秀と妻・煕子の位牌
光秀と妻・煕子の位牌

明智光秀と妻の煕子の位牌があった。

 

煕子の肖像画
煕子の肖像画

煕子は婚姻前に疱瘡(ほうそう)の病にかかり、顔にその後が残ってしまったので、煕子の家は代わりに妹を光秀に差し出すことを提案したが、光秀は気にしないで煕子を妻として向かい入れている。

 

西教寺内部
西教寺内部
本堂への廻廊
本堂への廻廊
西教寺廻廊
西教寺廻廊

廻廊がなんと美しいことか。

 

鐘楼
鐘楼

この中にある鐘は、もともとは坂本城の陣鐘で光秀が寄進したものらしい。

 

本堂
本堂

1493年(室町時代)坂本で一揆が起こり、山門の僧兵が西教寺に攻め入った。

しかし境内には人が居なくて、ただ鐘の音だけが本堂から聞こえてきたので駆け込むと、一匹の猿が鐘を叩いていた。

猿までが念仏を唱えていることに恐れ入った僧兵は、その場を立ち去ったという伝説があるそうな。

 

本堂
本堂

本堂の中は撮影禁止だった。

中は重要文化財の丈六の阿弥陀如来が安置されている。

 

明智光秀一族の墓
明智光秀一族の墓

境内には明智一族の墓があった。

 

煕子の墓
煕子の墓

隅には妻・煕子の墓があった。

丹波攻めの際、波多野秀治の激しい反撃にあい、病にかかった光秀を看病をして、その看病疲れで病死したとか。

なんと悲しい‥。(´;ω;`)

当時は妻の葬儀には夫は参列しなり慣わしだったのだが、光秀も葬儀に参列したらしい。

それだけ、妻を愛していたのかが分かる。

 

唐門
唐門
明智光秀公辞世句
明智光秀公辞世句

「わが五十五年の人生の夢も醒めてみれば全て一元に帰するものだ」

『明智軍紀』によると、山崎の合戦に敗れた光秀が自刃する直前に読んだ句とされる。

 

丹波攻略の起点の城・亀山城

 

亀山城の明智光秀像
亀山城の明智光秀像

大津市から車を飛ばし、京都の亀岡市にある亀山城本丸跡にきた!

明智光秀の像は、南郷池をぐるりと回り『光秀広場』に立っている。

この城は、織田信長の命により、光秀が丹波攻略の本拠地として1578年に築城した城。

この地は京と山陰・中国地方を結ぶ上で、軍事的、経済的にも重要な場所だったため、本能寺の変、豊臣秀吉の天下統一のあとは、信長の4男の羽柴秀勝、羽柴秀俊(小早川秀秋)、前田玄以が入り、江戸時代には岡部長盛が城主となり盛り立てた。

 

亀山城内堀
亀山城内堀

亀山城は、宗教法人大本の敷地「天恩郷」であるため、『みろく会館』の総合受付で料金300円を払い、貰ったシールを服に貼って見学することになる。

 

復元された石垣
復元された石垣

石垣と堀が美しい!

この池は万祥池と呼ばれてるそうだ。

 

天下普請の彫刻
天下普請の彫刻

よく見て見ると、四角と卍の彫刻が入っている。

これは江戸時代の天下普請で、亀山城を近世城郭にする大修築の際、各大名が自分たちが運んできた石を間違わないようにしたものらしい。

他藩の石を勝手に積み上げたら喧嘩になるもんね。

 

万祥殿
万祥殿

宗教法人大本の建物の左側を通り、天守石垣へ向かう。

 

本丸の石垣
本丸の石垣

万祥殿の横の門を潜ると、見事な石垣が見えてきた。

 

天守石垣
天守石垣

綺麗に積みあがっている石垣!

下から三分の一は築城当時の石垣だそうだ。

これは穴太(あのう)積みと言うらしい。

 

井戸跡
井戸跡

古い井戸があった。

 

天守石垣
天守石垣

江戸時代の天下普請で、築城の名手・藤堂高虎によって今治城の天守を移築して五重の層塔型天守が作られたそうな。

現在、天守閣があった台座には宗教法人大本の神域・月宮宝座が祀られている。

 

亀山城の大イチョウ
亀山城の大イチョウ

樹齢400年以上と言われる大イチョウ。

もともとは光秀が手植えしたのだが、江戸中期に台風で倒れてしまい、この木は二代目らしい。

だが、十兵衛の魂はこの木に乗り移って亀岡の人々を見守っているんだろうね。

 

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俺の愛猫・天ニャンが坂本城、西教寺、亀山城を観光してきてます。